伊藤一農園|熊本ブランドメロン絹月

2023/05/16 23:49

今回特に長い記事ですが、よければ読んで下さい。

初七日も過ぎまして、正式にご報告です。
当農園二代目、伊藤一義が5/6 23:27に永眠しました。

最期まで必死に生きようとしましたが、夜連絡を受け自分が病院に到着して10分ほどして、静かに目を閉じました。

自分が生まれてすぐ心臓病を患い、常に病と闘いながらの74年でした。

二代目が20代の頃、昭和40年代前半から私の祖父(初代)と一緒にメロン栽培を地域でもいち早く取り組み、初代没後約30年以上一人でメロン栽培に没頭しておりました。
口癖は「俺はメロンしかつくりきらんけん。」



農業の不安定さと苦労を知り、私には「農業はせんでよか。会社勤めになれ」を繰り返していました。

販売や広告などは一切考えず、ただひたすらメロンの品質だけを磨き、その事が家族の為と考え自分の事よりも優先して農業に取り組んでいたように思います。

晩年は思うように身体も動かなくなり、仕事ができない自分自身に悩みながら肉体的、精神的にも衰えていきました。

私が「お父さんメロンするけん、教えてよ。」と言うと「なんや、お前もメロンすっとかい。」と言いながら複雑そうな顔と嬉しそうな顔でニヤついていたのを思い出します。

「ウチの屋号はお父さんの名前を一字もらって『伊藤一農園』(いとうはじめのうえん)にするけんね。」と言うと「俺はそぎゃんとはよか。もちっとよか名前のあっどが。」とも言いながら微妙にニヤついていました。




親父の名前をもらったこの農園の、長年培ってきた親父のやり方でできたメロンでたくさんの方に笑顔になって頂き、
それを親父に伝えてお前がやってた事は間違いじゃなかった。こんなにすごい事をやってたんだぞと、親父に伝えて「そぎゃんだったかい。。。」と、微妙にニヤつく顔を見るのが私の目標でした。


今ではその目標は叶わなくなりましたが、逆に孫を抱いて同じように微妙にニヤつく顔が写真になり、約1年半ぶりにウチに戻ってきました。

まぁ、親父に伝えるのは私が死んだ後にあの世で伝えればいいとして、自信満々で親父に伝えることができるよう、自分もこの農園事業に打ち込まねば。。。

田舎の地域ではありますが、病を背負った身体で家族を支える為に愚直なまでに農業に打ち込み、またその親父の環境を親族や地域の方々に支えられ、生き抜いた伊藤一義でした。

「おい、真也。俺はそぎゃーん大したこつはしとらんけん、あんま話しばふとはすんな。」

と言っていると思いますが、これは遺されたものの特権ですので勘弁してもらいましょう。

今回も相変わらず長々と投稿しましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

これからも伊藤一農園を、宜しく申し上げます。